2018/05/01
2018/05/01
2017/12/03
2017/11/19

独白

        

落伍者の人生

category - 独白
2018/ 05/ 18
                 
昭和に産まれた。



ものごころついたとき、「産まれる前に悪いことをした」という言葉が漠然と頭にあった。



3回くらい全く同じ夢を見る。



路地裏を歩いていて誰かに「30円落としましたよ」と語りかける夢。



直後に場面は真っ暗になり、ひどく恐怖が襲う。



永く感じた恐怖が終わると、父親が紙吹雪と歓声を浴びながらガッツポーズをしている。



子供の頃は、両親は仕事で忙しく、独りで孤独に育った。



高校進学で、不良の学校と知らずに、ワルの職業高校へ進学する。



不良になじめず、父親が勝手に手続きし2年で退学させられる。



半年間引きこもりになる。



オカルト雑誌月刊トワイライトゾーンの記事「アカシックレコード」を読み夢を見る。



生涯をかけて愛と勇気のために生きると誓いを立てる。



昭和60年1985年、統合失調症を発病して精神科に入院。



半年で退院して、社会復帰を目指す。



昭和61年春、浜松市の裏町、磐田市へ出稼ぎに人材派遣のお世話になる。



朝8時過ぎ、専務の車であさひやへ朝ご飯を食べに入る。



専務がたくさん食べて力をつけろと言い、専務のおごりで牛丼を食べる。



その時代は確かに自分の青春だった。



人材派遣先の会社の社長の一言で二日でクビになり、意気消沈して浜松に帰る。



社長が「お前明日こんでいいでな」と言う。



ボケの私は「明後日は来てもいいんですか?」と聞く。



「専務に聞け!」と怒る社長。ヤマハ船外機の下請けの会社だった。



時代はバブルの一歩手前で、まだ不景気だった。



昔は障害者雇用の制度が整っていなくて、病気を隠して健常者として働かなければならなかった。



そんなことをしていると、精神病が悪いことのように思えてきた。



その夏、受診している総合病院の紹介で木工所に障害者雇用の半日のアルバイトで入社できた。



最初はまじめに働いた。当時の最低賃金が500円で、時給480円貰った。



毎日おが粉にまみれて働いた、汗びっしょりで。



何日サボってもクビにならないので、2,3年働いた。



その頃はバブルだったと思うが、何の恩恵も受けなかった。



後になってバブルがはじけたと世間が騒いでいても、自分には何のことかさっぱり分からなかった。



20歳、1988年、父親に「成人式に出たいからスーツを買って」と言うと。



「バカ野郎!そんなものくらい自分で買え!!」と怒られた。



スーツを買うお金がないので、悔しいから成人の日は祭日出勤して働いた。



その初春、入院患者のおっさんにお見舞いのお礼だと言って病気を染される。



酷い病気になり、また精神科病棟に入院する。



自分が宗教じみた詩を、非公認の病棟喫茶店の落書き帳に書いたら。



周りの赤の他人が騒いで、マスコミにフォーカスされ始めた。



病棟に居る自分がテレビに映っている。



恐怖を感じる。人権侵害だ、病院が自分をマスコミに売ったのだと思った。



怖すぎて何も言えなかった。



世間に「早く死ね!」と何万回も言われる。



20歳を過ぎて感じた恐怖はすべて、ものごころついたときに見た不思議な夢の恐怖だった。



20歳を過ぎて、仕事は数日しか続かなかった。



忘れもしない1993年25歳の梅雨、求人情報誌で見つけた仕事先。



求人誌にはアルバイトと書いてあったのに、面接に行くと「うちは正社員しか雇わないよ」と言う。



よく考えもしないで働かせてくださいと言い、重労働の梱包業の正社員に就職する。



60キロくらいある商品の段ボールを、一日何百個も運ぶ。



仕事を始めると、必ず幻聴が聴こえてきて、周りにいるおばちゃん全員がゲラゲラ笑う。



幻聴がテレパシーとなって聴こえているのだろう、プライバシーは皆無だった。



工場長もおばちゃんたちの味方をして、自分をいじめた。



1か月もする頃には、背中の筋を切ったみたいで、まともに働けなくなっていた。



起きて生活することも出来なくなっていた。死ぬほど背中が痛かった。



生き地獄だった。自分で「セルフ拷問」と名付けた。



毎日定時まで働いて、整形外科で麻酔の筋肉注射を5、6本打ってごまかしていた。トータルで100本くらい打ってもらった。



三か月たって使用期間が終わり出勤日数が足らずクビになるときには、身も心もボロボロになっていた。



結局その年は梅雨が明けなかった、夏が来なかった。



すぐに精神科病棟に任意入院したが、看護婦も患者も悪に染まっていた。



優しい人は一人もいなかった。



地獄を見た後は、さらに地獄が待っていた。



病棟で昼食時に、生放送のテレビを強制的に観せる。



必ず笑っていいともを選局していて、タモリとかサンマが病棟やお茶の間を覗いて仄めかしていた。



人権侵害されていたみたいだが、病院が人身売買していると思って怖すぎて何も言えなかった。



退院してから3年くらい再起不能だった。



28歳になって、またアルバイトの働きに出た。



求人情報誌で見つけた清掃業。



ジ○ンボエンチ○ーに派遣されて一人で店舗を清掃する。



代わりの従業員がいないから、一日も休めない。



安い給料でも、責任感は一人前だった。



現場には居ない上司に、優秀だと誉められたが。



慣れてくると、職場の店員たちにゲラゲラ笑われて、傷ついて3か月で辞めた。



その後すぐにハローワークで見つけた車のFRP部品を作るプラスチック成型。



会社は儲かっているらしくて、すぐに採用してくれた。



前のところで時給イクラ貰っていたんだと聴かれて、正直に「700円です」と答えると。



「じゃあ700円でいこう」と社長に決められる。



嘘ついて吹っ掛ければよかったと思った。



若い頃は精神安定剤を常用していなかったから、統合失調症で苦しんでいた。



薬の副作用も強かったから、安定剤が嫌いだった。



自分に処方される薬には、精液が出なくなる副作用のひとつがあった。



今常用している安定剤には副作用がほとんどないから、主治医ときちんと飲む約束をした。



車やバイクで世間に出ると、赤の他人が自分のプライバシーを喋り、笑っていた。



自分は周りにどう思われているか、ひどく気にするタイプらしい。



注目されていても、無様なピエロじゃ嫌だな。



リスペクトしろとは言わないが、せめて人権は守ってほしい。



もう50歳だが、17歳の時に立てた志は少しもブレてはいない。



誰もが仲良く笑って暮らせる世界、それが自分の夢。



ささやかな人生、人並みでなくても生きてることに感謝している。

                         
                                  
        

イライラした事ない

category - 独白
2018/ 05/ 01
                 
俺は人生の中で、ほとんどイライラした事無い。



もたもたしている人を見ればじれったくなるけど。



イライラして怒りっぽくなったことなんてない。



今まではハラハラしっぱなしで、いつも何かに怯えていた。



焦燥感という病気らしい。これもイライラに該当すると医者に言われた。







大切なものを守るためとか言って、争いが始まる。



好きという感情があるから戦争は無くならない、とかタモリは言ったらしいけど。



タモリは一番軽蔑すべき人間、人の痛みが分からないらしい。



若いころに「笑っていいとも」でモニタリングされて、人権侵害され仄めかしされ笑いものにされた。



好きなものや人を奪われると憎しみや怒りが暴発する、とか。



戦争肯定派の人は、自分の攻撃性を正当化するけど。



もっと穏やかな気持ちになろうよ。



やっぱり人を疑うのは良くないよ、騙されたとしても。



21世紀になっても、国家間で争っている。



人が争っている世界なんて見たくないよ。



平和が好きだ。



平和ボケじゃないよ、人になじられてきたからそう思うんだ。



みんな助け合って分け合って仲良く生きていれば、いざこざなんて起こらないよ。



どうですか?きれい事に聴こえますか?



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おっさんでも輝きたい

category - 独白
2018/ 05/ 01
                 
俺の人生は仁徳を積む修行だった、まるで修行僧のように。



だから一般的な、学校へ行って就職して、働くだけの人生にはなれなかった。



もちろん悔しかった。なぜ働かぬといろんな人に責められた。



働いてお金を貯めて、お嫁さんをもらって子供を授かって、家を建てる。



当たり前の幸せこそ価値があるのなら。



俺の幸せは人には理解出来ないのだろう。



カタチあるものがすべてのこの世界で、見えない徳を積む生き方は。



時に目標を見失い、虚しくなる。



心のよりどころが欲しい、熱く確かめる揺るぎないものが。



生きる意味は一つじゃない。



人の数だけ人生があるんだから、既成概念の生き方すべてではないだろう。



これは葛藤。



心の中で戦っている。



輪廻転生の中で今世俺が体験するのは、見えない世界の大切さと、愛の偉大さを知る事。



父親が望んでいる、金儲けのうまい人間にはなれないさ。



どこまでも心眼を開花させる運命だから。



自分の信念に恥じぬよう、不遇な運命でも負けない。



人の数だけドラマは産まれるんだ。



ならばどんな事があっても生きてゆけるさ。



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苦しんだ

category - 独白
2017/ 12/ 03
                 
ああ、苦しんださ。

人生において、これでもかと言うくらい苦しんだ。

それもこの世に生きる大切な意味。

病気や赤の他人の介入や犯罪に巻き込まれ。

マスコミにプライバシーを狙われる猜疑心に悩んだ。

恐怖が自分の心を支配した、恐怖に怯えて闇に喰われた。

幸せな人生を謳歌している人がいるなら、苦汁をなめる生活に困窮している自分がいる。

若さを無駄に消費して何一つ得られなかった。年老いた今は輝いていると言えるのだろうか。

時間の中で生きている生命は、義務と欲望を器用にこなす。

どうかお願いだ。

この俺にも少しだけ生きるスペースをください。

毎日を生きる糧を得て一人でも生きてゆけるくらい。

人生の伴侶はいまだ現れない、そもそも居ないのか。

年老いて、身寄りがなくなって自分独りだけになった時、寂しさの中で死んでしまわぬように。

夜は切なさが加速する、訳もなく涙が流れても。

「寂しい」なんて口にしたら自分を見失ってしまいそう。

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もうすぐ50歳

category - 独白
2017/ 11/ 19
                 
もう自分の事を私と言うのは疲れました。

何だか固すぎます。

僕とか俺と言うように努力します。

いや努力しなくても良いのか。

もっと自分に無責任に生きても良いそうです。

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よく女性に、癒やされると言われます。

?自分が人を癒やす?

そんな能力があるのか、ヒーリングの一種かな。

あと一か月弱で50歳、半世紀オヤジですな。

いや半世紀少年か。

学校を卒業してから働き続けてきた友人に言わせれば、

「お前は何もしてこなかった、何もしなかった」

そうですが、自分なりに努力はしてきました。

平凡でない、特異な人生ですが・・・

もがいてあがき続けた、人に笑われなじられながら。

カネも名誉も地位も何にもない、人から見ればバカみたいな俺だけど。

傷ついた分だけ、人の痛みは敏感に判る。

その場の空気が手に取るように判る。

誤解は絶えず付きまとう、この世が誤解を構築する祠(ほこら)なら。

だから人を好きでいよう、人の優しさを。
                         
                                  
        

「わからない」と言える

category - 独白
2017/ 11/ 11
                 
韓国の元従軍慰安婦が出てくると。

「嘘つき」と言う日本人。

でも考えてみれば、その当時を知っている訳でもないのにどうして真実が分かるの?

信じるのも信じないのも、本人の自由だけど。

南京大虐殺だって嘘か本当かなんて今となっては判らないはず。

でも自分には昔の日本人が清廉潔白だったとはどうしても思えない。

日本に都合の悪い歴史は全部嘘にして、大和魂、侍日本はどこへ行く。

冤罪で死刑になる人がいるこの世界で、何が真実かなんて。

「自分にはわからない」と堂々と言える日本人でありたい。
                         
                                  
        

オイルショックとバブル

category - 独白
2017/ 06/ 30
                 
過去の話をする。

自分がまだ幼児の頃、ものごころがついた頃。

地元商工会のくじ引きで、三等を当てた。

景品は、サラダ油800mlまたはフルーツ缶詰の詰め合わせ。

引き当てた自分は迷わずフルーツ缶詰の詰め合わせを選んだ。

実姉が「サラダ油にすれば家族が喜ぶのにあんたバカじゃない?」と言っていた。

その時はちょうど世界がオイルショックで、石油製品が高値で売られていた。

両親にも出来の悪い子供みたいに言われて。

亡くなった祖父に玄関の外で何回も顔をグーで叩かれた。

エンエン泣きながらも、自分は何も間違ってはいないと思った。

貴重な油よりも、自分にとっては味わった事の無いフルーツと言うものを食べてみたかった。

まだ産まれたばかりの自分にとっては、オイルショックなんてど~でも良い話だった。

食べたフルーツ缶詰は、ほっぺたが落ちるほどおいしかった。

出来の悪い子供として育った、親に叱られっぱなしで一度も誉めてもらえなかった。

学校の絵画コンクールで何度も賞を取っても何一つ誉められなかった。

それでも屈折せずに、素直な人間に育った。不良が嫌いだった。

少年に成って精神病になり、病院の紹介でアルバイトをした。

その頃にバブルになったが、何一つバブルの恩恵を受けなかった。

ただ、物価が高いなと感じていた程度で、世間がバブルに浮かれていた事も知らなかった。

「バブルがはじけた!」と世の中が騒いでいても、何を言っているのか分からなかった。

子供の頃から感じる事は。

自分はアンチ「反主流」だ。

常識を守るけど、常識とは堅苦しくて退屈でつまらないものだと感じる。

型破りで革新的な思想が好きで、永いものに巻かれろの考え方が嫌い。

当然生きるのに苦労するけど、損したってかまわないと思う。

損得勘定が嫌いだから商売人には向いていない。

全部過去形の話しだけど、自分の過去だから。

                         
                                  
        

対面通行怖い!

category - 独白
2017/ 06/ 28
                 
公道の対面通行が怖い。田舎の県道はほとんど対面通行。

せめて中央分離帯があれば事故も軽減されるのに。

ほんの少しハンドルを右側に切れば、対向車と正面衝突。

いつもすれ違う反対車線の人は、すれ違うだけの存在。

未来では、無人運転の開発が進み。

人類の問題であった交通事故が無くなり。

それに伴い、人間が事故の元凶だと判断した政府は。

人間から運転する権利を奪う。

何もかもオートメーション化された道路。

事故の悲劇から人間を守る代償として、運転する楽しさを奪う。

それが永年マニュアルミッションの安い車を運転する自分の危惧。

電気自動車も水素自動車も、環境汚染の無いクリーンなクルマ。

タイヤの摩擦で地べたをはいずる地獄から解放されるのは、いつの日だろう?

                         
                                  
        

健康が欲しい。

category - 独白
2017/ 06/ 25
                 
私は老いが怖い。

集団ストーカーのような輩にプラズマ攻撃をされて。

心臓の病気、狭心症になった。高血圧にも。

毎日胸が苦しくて切なくて、ときめいてしまう。

ただ生きている事実が嬉しくて、涙が流れてしまう。

どんなに愛する人がそばに居ても。

莫大な財産に恵まれても。

健康でなければ何の意味もないと思う。

年を取ると涙もろくなっていけねえや。

激しい生を生きると、安堵が欲しくなる。

安らぎに帰りたいと泣いてしまう。

マイナスからゼロへ近づくだけの旅でも。

目に見えないものを沢山得る収穫がある。

他人が見れば何もしないバカでも、しっかりと魂に刻まれている。

夜に魅せられてしまう。

あんなに永い間恐怖に戦慄した経験は、他の人の人生であるだろうか。

恐怖を感じるのは自分自身。他の人じゃない。

狭心症の心臓の痛みが、恐怖に傷ついた心と重なってしまう。

あんなに恐ろしかった昨日は、もう帰らない。

健康が欲しい、健康だったら何でも出来る気がする。

こんなに生きてもまだ生きたい。

生き物が生き物を喰らう、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す世界で。

いつの日か、人間が人に進化する日を夢見て。

                         
                                  
        

体験する意味

category - 独白
2017/ 06/ 16
                 
よく人生は旅に例えられます。

私は20歳の時1988年、ある事情で重い病気にかかりました。

親切があだとなって恐怖が降りかかりました。

それは幼い頃に何度も見た夢の再現でした。

もう家に帰れないかもしれないと、オートバイで病院に向かい家を出た時。

人生の迷い道に入り込んだ。この旅は永い、還って来るのは2十年後か、3十年後か。

あれから3十年近くたちました。

永い・・・永い道。永い曲がりくねった道を歩いてきた。

出口の見えない暗闇を手探りで歩いて。

足跡の無い道、それは何の価値もない道かもしれない。

他人から見たら、何もしない怠け者のバカでも。

自分なりに成長してきた。

スピリチュアルの道を選んだおかげで挫折の人生を歩んだ。

それでも後悔なんて何もない。

自分の信じる信念と理想に忠実に生きるのは難しい。

夢は祈りとともに、次の世代に受け継がれる。

自分が産まれた世界、受け止めてくれる人が居るから。

想いは波動となって、大空を駆け抜けている。

傷が癒えてきました、嬉しくて泣きたくなります。

今この瞬間を生きている私たちは、奇跡で出来ている。

体験する世界、感じる事の意味。

この残酷で素晴らしき世界で何が出来るのか。

毎日の糧を得るために働く、それだけでも素晴らしい事。

許せなかった昨日と、あこがれていた明日が残像となる。

いっぱい傷ついて、いっぱい笑って。

愛の意味を知ってゆく。