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集団意識の定理

category - 現実への告発
2014/ 07/ 24
                 
集団の中に居ると気が大きくなる現象は、保護色による不特定化。


集団意識とは、一人では怖くて何にも言えず意気消沈してしまうのに対して。
集団の群れの中に居ると、自分が群れの中でカモフラージュされる事によって気が大きくなり、差別発言や暴言が吐ける事の意味。
子供社会や大人社会のイジメもこの下地が活かされて行われる。
「何で自分だけがひどい目にあう?」と言いたがるのは。
群れの中に紛れて生きて居る。大勢の中で平均で居続ける事によって自分がカモフラージュされ、狙われる確率が微量になると思い込む現象。

弱い生き物(草食動物など)は群れをなして行動する事によって一匹が喰われている間にその他の全部が逃げ切る事が出来る。
肉食動物は少数で行動する。いくら狂暴な牙を持っていても高速な追いかけっこになるから、
狩りに失敗して飢え死にする場合が多々ある。

戦争とは集団対集団の殺人合戦。殺しの祭典。
殺した人数の多さで勝敗が決まるのではなく、
生き残った人数の多さで勝敗が決まる。
殺人合戦を戦争と言葉をすり替えて認識させ、人々の罪悪意識をすり替える事に成功している。
これが、戦争が合法になっている歴史の理由。
殺人ショーに勝てば殺戮者(さつりくしゃ)は英雄とあがめられ、負ければ殺戮者は極悪人とののしられる。



学校でイジメが繰り返され被害者の子が自殺すれば問題に成る。反対にオトナの社会でいつもしている社会的集団イジメは誰も止めないし、被害者が自殺しても何の問題にも成らない。
それは、成人した大人は誰であっても一人一人が社会的責任を背負うから。
お説教してくれる大人が居ない事を意味するからだ。
卑怯者が勝利する数の正義「民主主義の正体」

「空気を読む」

と言う超能力は、結託して仲間はずれを作る法則がある。
場の雰囲気を瞬時に読み取る特殊能力は、建前社会の代表。
かつての大日本帝国の上等手段である空気を読む国民性。
自分だけは浮きたくないハズレたくないと考えるカモフラージュ意識。一人では戦えない弱いケモノだと呼べる証拠である。
協調性とは、自分を周囲に合わせる適応能力ではない。
協調性は社会道徳に基づく。
面倒から逃げて馴れ合いで生きる事は、協調性でも何で無い筈だ。


いじめを苦に自殺しても、誰も心は傷まない。
具体例では、
姉歯の奥さんの自殺も、マスコミに叩かれなければ起きなかったし。かつてのお騒がせ「ゴックンしていません」発言で辞めさせられた元国会議員は、自宅で静かに病死したそうだ。

今は安倍晋三首相が異常だと攻撃しても、自分達にも原因はある事すら忘れている始末だ。マスコミがワザと語らない。
マスコミに踊らされて国民全体で個人を袋叩きにする世論は。
完全に狂っていると判定できる。
いつの時代も世論とは偏屈な価値観を持つ。
透明な精神を忘れて大人に成ったからだ。
まともに育っていない大人社会。
いい年した大人が友好と調和を知らないのは、人間が自然へ帰らない罰だ。


暴力や欲望とは何故この世に存在するのだろう。

いや存在するのではなくて人間が実行し続けるから有るのだ。
ではその人間が何故暴力と欲望を止められないのだろう。
理性と暴力は相反するもの。理性と欲望も相反するもの。
自制心の微力な大人が社会と世界を支配するのなら。
まるで使い捨てのように、欲望の虜になり続ける人々は、どこまでも己の罪に気がつかない。

情報は只の最新データに過ぎない。知識も只の知識のままでは個人の為の肥やしには成らない。
知性が求められる人類には叡智がなければ、呪われた絶望の歴史から抜け出すことは出来ない。

そして愛も勇気も学ばなかった人は、自分にはどうする事も出来ないと諦めてしまう。

プライドの高い大人社会のひねくれた常識の不器用な人達は他人を見下し、自分こそが一番だと信じたがる。
一番もどん尻もなく高次元も低次元もなく上流も下流もない。
地球上の大地に立つ人は、頭の上にも足の下にも立たない。
そして地平線は丸く繋がって遠く離れても帰ってくる。
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