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愛想笑いと協調性

category - 内宇宙の信仰心_無宗教
2016/ 09/ 15
                 
病院のデイケアへ通うようになって、自分が変わった。

協調性。

ある時から周囲を気にしている自分が居る。

社会の中で生きるには協調性は大切、人の和を乱してはいけない。

人と同じが良いとか、人と違うほうが良いとか。

どんな手段でも良いから目立ちたいと言う人でも、社会道徳は守る。

世の中で生きてゆくには、人とうまくやってゆかなければならない。

自分の意に反したことも言わなければならない。

最近苦痛に感じるのは、周りの人に合わせて愛想笑いをしている自分が居る事実。

愛想笑いをする自分を冷めた目で見ている自分が居る。

はっきり言って自分は中年だが、精神はまだ若いのだろう。

もちろん人とは違うが、自分なりに人生経験は積んできた。

愛想笑いは強制じゃない、義務でもない。

ただ、それをしないと場の空気が白けてしまう。

営業スマイルなんて、この年まで出来なかった。

くだらない事で悩んでいるのかもしれないが。

今はまだ割り切る事が出来ない。

自我と協調性の葛藤にもがいている自分が居る。

自分は道徳を愛している。

道徳は常識に基づいている。

道徳を愛するからこそ、既成概念を疑う。

既成概念を無視すれば、新しい世界が無限にある事に気付く。

人間はチャレンジャーだ、絶えず新しい自分を探している。

人間は不完全だから、完全を目指して努力を欠かさない。

そのためにこの世があるのなら、苦しみの不幸せだってあきらめてはいられない。

満たされた時代でも、いつの時代でも人の心は満たされはしない。

子供を過保護に育てて、この国を武力で防衛する時代。

新しく生まれる命は、悲しみを学ぶ。

この平和な日本に産まれた命には、悲しみを教えられない。

物質の世界に生きる事の意味を学ばない時代は、精神の大切さを知らない。

物質の世界に生きるからこそ、痛みの意味を知る。

空気を読む事は大切なのかもしれないが、集団に交じって自滅する道を選んではいけない。

寛大な心で、人の過ちを許せたなら。

周りに合わせて愛想笑いをするのも、自己犠牲の一つなのだろう。
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